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地域間交流
この時代の各地の交流は、他地域から持ち込まれた品物や土器から知ることができます。
この地から各地へ持ち込んだ土器からも交流を知ることができますが、ここでは「持ち込まれた土器」について述べます。
外来系土器
弥生時代中期以降、土器は地域ごとに形や文様、作り方に独自性を発達させます。
出土した土器をよく観察すると、その土器がどの地域から持ってきたものかが分かります。このように他の地域から持ち込まれた土器を「搬入土器」と呼びます。ただ、他地域の土器の特徴を持っているからと言って、必ずしも搬入されたものではなく、似せて作ったかもしれません。他の地域からの訪問者が出先で作って使用したことも考えられます。
搬入か在地制作かの区別は土の分析でわかるのですが、ここでは一括して「外来系土器」とします。
下長遺跡でも、このような外来系土器が出土しますが、その量が他の遺跡よりもとても多く、かつ広範囲の地域から来た外来系土器が見つかります。

下長遺跡の外来系土器
下長遺跡の外来系土器 【守山市教委】

外来系土器の産地
外来系土器の産地 出典:守山市誌(考古編)

すなわち、下長遺跡は、他地域との交流が頻繁で多かったといえます。これらの土器を調べることにより、交流地域やその経路を知る重要な手掛かりになります。このことからも、下長遺跡は水運拠点であったことが頷けます。
近江地域は「近江型土器」の特徴を持っており、日本各地から見つかっていて交流の広さが分かります。
この近江型土器も細かく見ると、近江のどの地域の土器なのかが分かります。 下長遺跡では、近江各地の土器が出ていて、近隣とも活発な交流があったことが分かります。
韓式土器、初期須恵器
韓式土器とは、古墳時代中期初め以降に韓国南部からもたらされた土器、あるいはそこかから日本に移り住んだ渡来人が製作した土器のことを指します。土器の形がかなり違うのでよく分かります。また、高温で焼いた陶質の器は初期須恵器と呼ばれ、渡来人が持ち込んだ技術です。
この時期には多くの渡来人が近江に来ており、韓式土器は結構多くの遺跡で見つかります。そのような遺跡は野洲川下流域に多く存在し、渡来人の存在が伺われます。
守山市内で韓式土器の出土を見ると、古墳時代中期の下長遺跡と播磨田東遺跡で多く見つかります。当時は川道も埋没して水運拠点ではなくなっていたようですが、下長遺跡には多くの渡来人がいたようです。
韓式土器と初期須恵器
韓式土器と初期須恵器(阿比留遺跡)【守山市教委】

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