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墓域
下長遺跡には、隣接して塚之越遺跡があり、下長の墓域と考えられています。 実は、下長遺跡の範囲内にも墓域があります。遺跡の中心部からは離れており、居住域や祭祀域などから離れたところに墓域を設けたようです。

下長遺跡の墓域
下長遺跡の墓域
出典:下長遺跡発掘調査報告書【守山教委】
遺跡北部の墓域
8基の方形周溝墓が見つかっています。
墳丘の大きさは、5m方形から大きいもので19m方形の大きさです。
図中、左端の方形周溝墓の墳丘は19m方形です。通常、方形周溝墓の墳丘の大きさは10m程度であるのに比べると相当大きいものです。周溝の幅は1.3m〜2.6m(場所により異なる)もあります。周溝も含めると面積は440uという広さとなります。
服部遺跡の360基もある方形周溝墓と比べても最大級に属しており、相当の権力者が埋葬されたと考えられます。
右端の方形周溝墓も墳丘が17m方形で、服部遺跡でも最大級に入る大きさです。その他の墓は、4〜5mクラスで、服部遺跡の標準サイズに当たります。
墓の並び方や方位に特に規則性はなく、単発的に増築されたようです。
周溝の中からの土器などの遺物はみつかっていません。この時期の葬送儀礼は土器の供献を伴うことが多いのですが、この区域では土器の供献を行わなかったようです。

下長遺跡の方形周溝墓

下長遺跡の方形周溝墓 出典:下長遺跡発掘調査報告書

遺跡南東部の墓域(塚之越遺跡)
自然堤防の微高地に沿って方形周溝墓が築かれています。
墓が造られたのは、下長遺跡の集落が形成され始めた時期と一致しており、下長遺跡の衰退の時期には墓の築造が中断します。
このような事実から、塚之越遺跡は下長遺跡の墓域と判断されるようになりました。
塚之越遺跡 墓域

塚之越遺跡 墓域(B群は地図下方の表示外)
出典:塚之越遺跡発掘調査報告書

方形周溝墓は25基以上が見つかっており、墳丘の大きさは5〜9mで、最大級の墳丘サイズが12.5mです。
造墓時期の順は、図では、西側から 東に向かって造墓していったようです。 図中A群からB群へと造墓活動が移っていきますが、C群の方形周溝墓で活動が中断します。
C群の中で特筆すべきことは、前方後方型周溝墓が築かれたことです。 前方後方型周溝墓については後述します。
造墓活動の長い中断の後、E群で新しい  形式の方墳が築かれます。時代的には古墳時代前期末から中期初頭にかけて築かれました。下長遺跡が衰退した後なので、造墓主体は別の集落の人たちということになります。
このように見ていくと、塚之越遺跡の方形周溝墓は下長地区の方形周溝墓ほど大きくはないが、方形周溝墓から前方後方型周溝墓、さらには方墳へと移行していく墓制の変遷が見られる貴重な遺跡です。
副葬品
副葬品は、方形周溝墓(前方後方型も含む)と方墳とでは様相が違っています。
A群、C群の方形周溝墓では土器が供献されており、当時の葬送儀礼を踏襲しています。
E群の方墳になると、土器の供献もありますが、新しいタイプの副葬品が供えられます。
【方形周溝墓】
服部遺跡の方形周溝墓で見られたのと同じやり方で、供献土器が埋納されていました。大型のほぼ完全な形をした土器が出ることから、供献土器と考えます。供献土器がない墓もありますが、これも服部遺跡と同じです。
【方墳】
供献土器も認められますが、管玉や玉で作った琴柱型石製品や鉄斧が周溝の中から見つかります。下長遺跡の後にこの地の首長になった人が新しい葬送儀礼を始めたのです。
服部遺跡の古墳でも石製品が埋納されており、塚之越遺跡の方墳と同じです。服部遺跡で見られた木製埋納品は、塚之越遺跡では見られませんでした。これは、自然堤防の微高地の乾燥エリアに築かれた方墳なので、木製品があっても腐敗して残らなかったためでしょう。
琴柱型石製品は滑石製で、高さ3.5cm、上端部幅3.4cm、角状突起部の厚み4mmです。写真では下部にあたる軸部は厚みが6.5mmで、貫通した小孔1.5mmが開いています。
鉄斧が3点出土しており、大型の鉄斧は長さ12cm、刃先幅9.5cm、厚さ7mmです。
別の方墳からは、須恵器と共に鉄鏃が見つかっており、鉄製品が供献されていたようです。
琴柱型石製品、管玉、臼珠、紡錘車

琴柱型石製品、管玉、臼珠、紡錘車【守山教委】
鉄斧
鉄斧【守山教委】

前方後方周溝墓
弥生時代後期末〜古墳時代初頭の下長遺跡が盛隆していく頃に築かれたお墓です。
図のように、前方部が不正形の方形、後方部がほぼ方形と考えられます。後方部は三分の二が未発掘なので正確な形状は分かりません。
他所で発見された前方後方型周溝墓は方形が多く、正方形と考えました。
前方部の手前の幅は7.5m、主体との結合部は幅4m、長さは8.6m、後方部の幅は18mです。
後方部が方形であったと仮定すると、全長は23mになります。
大きさで言えば、下長遺跡の北部で見つかった最大の方形周溝墓に匹敵します。
塚之越 周溝墓 形状の変遷
塚之越 前方後方型周溝墓
出典:滋賀文化財たより No.269
方形周溝墓からの形状の変遷
方形周溝墓からの形状の変遷
出典:滋賀文化財たより No.269

このような形状は、方形周溝墓の溝の一部を埋めた陸橋部が伸びて前方部を作ったようです。野洲川下流域ではこのような形状の変遷に相当する墓が見つかっており、下長遺跡近辺にいた当時の権力者が新しい形の墓として築いたのでしょう。
前方後方墳のイメージ
前方後方墳のの祭りのイメージ図(絵:中井純子氏)
方墳
方形周溝墓は、方形低墳丘墓とも言われています。方墳と方形周溝墓は上から見た形状は同じなので、墳丘が削り取られて溝しか残されていない場合は区別がつきにくいです。
溝の形状の違いや溝に落ち込んでいる墳丘からの土の量などから方墳と方形周溝墓を見分けています。
塚之越遺跡で古墳時代前期末から中期初頭にかけて築かれた墓は、方墳と判断されました。

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